フリーター哲学<都会と言う「背景」と人間の欲望:福祉の最大化に従順な人間行動>

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「背景」とは?

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まず、ここで言う「背景」とは一体何なのか?と言う事だが、【悲報】とあるフリーターが都会での一人暮らしに疲れを感じたようですでも述べたように「街を構成するあらゆるもの。デパート、百貨店、ブランド品店、オフィスビル群や雑居ビル、複数車線にもなる道路、有名人が写った巨大広告、人々の群衆、また個人個人が身にまとう服など」を「背景」と著者が定義させてもらう事にする。

 

欲深い人間性の形成プロセス

田舎に比べて都会の方が、「無形財および有形財の生産・消費」は多くなる。そして、個人的な偏見で言わせてもらえば、人と言うのは生活の拠点が都市部になればなる程に「欲深い人間性」が形成されるように感じる。

が、何故なのだろう?そのプロセスを簡単にまとめると

  1. (もちろん全員が全員ではないが、)「都会に出たい。都会に住みたい」と思うようなタイプの人には、どちらかと言えば「新しいもの好き」や「刺激を求めている」人達が多く、明確・不明確問わず都会に何らかの目的(欲望)を持つ人が多いように感じる
  2. そう言った人達が実際に都会に出る
  3. 都会独特の「背景」、つまり先程も述べた百貨店やブランド品店(のディスプレイされた多くの商品)や広告が消費行動を促す。その結果、「欲しい物、受けたいサービスがどんどん増える」
  4. それら欲しい物、受けたいサービスを実際に手に入れる、体験する
  5. 報酬系回路から快楽物質が分泌される(依存)
  6. 3.~5.が無限に繰り返されどんどん欲深くなる

と言った感じになるかと思う。

 

買えない物がある場合の選択肢と複数観点から見る善悪

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いくら「欲しい物がある」とは言え、相当の大富豪で無い限り全てを手に入れる事は出来ない。収入に限界があれば当然どこかで諦めなければならない。

欲深くなるにつれて「欲しい商品の値段がどんどん高くなり、もっとお金が無いと買えない」と言うのはよくある事だが、そのような時フリーターの場合、基本的には

  • 買いたい物を我慢する(欲望を抑える)
  • 収入(労働時間)を増やす

のいずれかを選択しなければならない。(「消費者金融などでお金を借りる」と言う方法もあるが、ここでは除外する)そして、それぞれの善悪を

  • 経済的観点
  • 健康福祉的観点
  • 道徳的観点

の3つの観点から考えて行きたい。

 

「買いたい物を我慢する場合」の経済的、健康福祉的、道徳的善悪

先程述べた「欲深い人間性」が形成されるプロセスの無限ループを脱するには、「買いたい物をを我慢」する事を覚えなければならないかと思う。

 

経済的観点での善悪

まず、「買いたい物を我慢する場合」だが、この場合は本来個人の内側に存在した購買欲をなかば無理矢理抑えつけ、世の中から1つの消費行動が消滅する事になる。経済的観点で見れば、経済が回らないと言う意味で「悪」となるのではないだろうか。

 

健康福祉的観点での善悪

人間「何かを我慢する」事自体はストレスとなる為、健康福祉的観点で見れば「我慢=悪」となるかと思う。

 

道徳的観点からの善悪

道徳的観点での判断は難しい。

日本では「我慢=美徳」といった風潮がある一方、海外では(もちろん日本にも同じ考え方を持つ人は多くいると思うが)「我慢せず使いたい時にお金を使ってしまった方が良い」と言う考え方をするところもある。ここだけで考えた場合、「善 or 悪」どちらとも言い難い。

「我慢」が善か悪かを判断する要素は他にもある。「社会に出たら我慢する事ばかり」と、よく言われる。(そもそも「我慢が必要な社会は善なのか?」と言った疑問はあるが)「我慢」は、「人間の社会性の形成や人間的成長をもたらしてくれる」と一般的には考えられており、その意味で道徳的観点から見れば「我慢=(どちらかと言えば)善」と言えるかもしれない。

「買いたい物を我慢する場合」(著者の個人的意見)
経済的観点
健康福祉的観点
道徳的観点 (どちらかと言えば)善

 

 

「収入(労働時間)を増やす場合」の経済的、健康福祉的、道徳的善悪

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一方、「収入(労働時間)を増やす」場合、先程述べた「欲深い人間性」が形成されるプロセスの無限ループの中で行動する事になる。

 

経済的観点での善悪

「収入(労働s時間)を増やす」場合、労働時間を増やせば生産活動も増える事が期待され、また手に入れたお金を商品の購買に回す事で経済も回る事から経済的観点で見れば「善」と言えるのではないだろうか。

 

健康福祉的観点での善悪

「労働時間を長くする」と言うのは少なからずストレスとなる為、この点では健康福祉的に「悪」になるかと思うが、「欲しい物を手に入れる」と言う行為は、人生において個々人の幸福の追求となる為、この点では健康福祉的に「善」と言えるのではないだろうか。総合的に判断すれば「善でも悪でも無い」、もしくは「個々人の感じ方により異なる」と言えるのではないだろうか。

 

道徳的観点からの善悪

道徳的観点ではどうなるか?

先程も述べたように日本には少なからず「我慢=美徳」といった風潮がある。が、これはあくまで風潮であり、「我慢しない事=道徳的に悪」と決定づける理由にはなり得ないかと思う。

一方「欲しい物を手に入れる事=道徳的に善」とするような理由も特に思いつかない。したがって、道徳的観点では、「善でも悪でも無い」となるように感じる。

「収入(労働時間)を増やす場合」(著者の個人的意見)
経済的観点
健康福祉的観点 どちらでもない。個々人の感じ方でどちらにもなり得る
道徳的観点 どちらでもない

 

自らの福祉を最大化する為に行動する人々

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ゲイリー・ベッカー『人間行動学への経済学的アプローチ』

 

こうした見解として最も有力なのは、シカゴ大学教授のゲイリー・ベッカーが、『人間行動学への経済学的アプローチ』(一九七六)のなかで述べたものだ。

~中略~

ベッカーによれば、人々はどんな活動に従事しようと、自らの福祉を最大化すべく行動するという。この仮定は「厳格に、断固として適用され」、人間行動への「経済学的アプローチの核心を形成している」。

(『それをお金で買いますか(原題:What Money Can’t Buy) マイケル・サンデル著』P76~P77より)

 

人々が何を最優先させたのか

「人間は自らの福祉を最大化するよう行動する」との事だが、先程の例に当てはめれば、「買いたい物を我慢」した場合は我慢する事、つまり「道徳的観点での善」、「労働時間を増やさない事で得られる健康」を最優先させた事となる。

一方、「収入(労働時間)を増やした」場合は、その人物が「労働時間が増える事での肉体的・精神的ストレス」を避けるよりも「買いたい物を手に入れる事で得られる快楽」を最優先させた事となる。

 

全ては自業自得か

つまり、「自分の中で折り合いを付け、欲望を上手くコントロールして生活」しようが、「都会で生活する中で欲望に溺れた結果、取り返しのつかない人生」を送ろうが、それらは個々人が「自らの福祉を最大化させようと行動した結果」であり、誰のせいでも無く自業自得と言えるのかもしれない。

 

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