「フリーター」と言う生き方を頭ごなしに否定すべきでない理由

世間一般では、フリーターと言えば「安定していない」、「プラプラしていそう」などと言ったような否定的なイメージが先行しがちだ。だが、必ずしもフリーターになりたくてフリーターになった人達ばかりではないだろうし「フリーターと言う生き方は間違いなのか?」と言えば全くそのような事は無いはずだ。また、「正社員になれれば幸せなのか?」と言う問いにも、一概にYESとは答えられないはずだ。

果たして「フリーターと言う生き方」は否定的に見られなければならないものなのだろうか?

 

「フリーター」と言う生き方はそんなにダメな事なのか?

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フリーターへの世間一般のイメージ

冒頭でも述べたように、世間的に「フリーター」と言えば

  • 安定していない
  • プラプラ、チャラチャラしていそう
  • 将来の事を考えていなさそう
  • 適当そう

と、言ったような否定的なイメージばかりが出てくる。確かに金銭的な面(収入面)だけで考えた場合、正社員に比べてフリーターは不利な状況になる。

 

周りに迷惑はかけていない

フリーターとして生きる多くの人間が抱えるであろう「収入が低い(安定していない)」と言った問題だが、これについては基本的にフリーター張本人の生活が苦しくなるだけであり別に誰かに迷惑をかけている訳でも無い。確かに「親に仕送りが出来ない」、「親孝行が出来ない」と、言った意味では正社員の人間に比べて負い目を感じるかもしれない。が、そもそも「親孝行」は義務では無い

 

他人が口を挟む権利はあるのか?

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個々人が優先する福祉の違い

「いつまでもフリーター生活を送っている事を見かねた親が口出ししてくる」と言った経験をした事がある人達も少なくないかもしれない。が、結論から言って(家族であろうが)個々人の人生に他人が口を挟む権利は無いように感じる。

個々人には「自らの幸福を追求する権利」があり、幸福を追求した結果、つまり自らの福祉を最大化させていった結果がフリーターと言う働き方なのなら何も問題は無いのでは(フリーター哲学<都会と言う「背景」と人間の欲望:福祉の最大化に従順な人間行動」でも述べたように、人間は常に自らの福祉を最大化させようと行動する)ないのだろうか?

 

時間的自由を選択する「あえてフリーター」層

ここ数年増加傾向にある「自分に都合のいい時間で働く為にあえてフリーターと言う働き方を選択している」人達、また「夢を追う為にフリーターと言う働き方を選択している」と言った人達が含まれる。

この人達の場合、「正社員になる事により得られる(給与面などの)効用」よりも「フリーターを選択する事で得られる時間的自由」を優先させている事になる。つまり、単に世間一般の人達が優先する「経済的な安定」や「人並み、もしくは人並み以上の幸せ」と言った福祉よりも「時間的な自由」であったり「個々人が追う夢」であったりを優先させる方が「自らの幸福に繋がる」と判断したのである。

 

親が子の夢を否定する権利はあるのか?

先程も触れたように、「夢を追う為にフリーターと言う働き方を選択する」と言う人達も一定数いる。が、そのような生き方を否定する親も一定数いる

世の中、必ずしも夢が叶う人ばかりでは無い。叶わない人の方が圧倒的に多い。人間と言うのは自らが経験できなかった(自らの夢を実現させると言う)事を想像するよりも、自らが実際に経験した(夢を実現出来なかった)事を誰かに語る方がはるかに容易である。そして、年齢を重ねれば重ねるほどにこの傾向は強くなる。(年配の人に自分語りが好きな人が多いのはこの為である。)

自分が夢を叶えられなかった親が我が子の夢を否定する際、ただただ「お前には無理だ」と、否定する場合もあるだろうが、「(自分には無理だったんだから)お前には(にも)無理だ」と言うニュアンスで否定するケースも一定数あるように思える。その場合、親からの「夢を否定する言葉」を真に受ける必要は無い。なぜなら、「親が夢を実現できたかどうか?」と言う問題と「(子供側に)夢を実現させるだけの才能があるか?」、「夢を実現できるだけの努力を継続できるか?」と言った問題は無関係であるからだ。

>>>将来のフリーター化を阻止する為、金銭的インセンティブを親は我が子に支払うべきか?

 

基本的には、正社員になる事で得られる効用を期待している「仕方なくフリーター」層

「出来れば正社員になりたいが、なかなか採用されない」もしくは「希望するような正社員の求人が無い」と言ったような人達だ。

この人達の場合は先程の「あえてフリーター」をしている層とは異なり、基本的には「正社員になる事により得られる(給与面などの)効用」を期待している事になる。いつの日か正社員登用される事を願っている人達ももちろんいるだろう。

この人達の場合、「フリーターを選択する事で得られる時間的自由」は、先程の「あえてフリーターをしている」層ほど重視しない傾向にある為、正社員と同じようにフルタイムで働く人達が多い。

 

正社員が幸せだと思えない理由

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金銭面(収入面)で見た場合、正社員は「それなりに安定」するが、個人的には必ずしも正社員が幸せだとは思えない。正社員が幸せだと思えない理由には

  • 残業が多い(拘束時間が長い)
  • 人間関係が固定化してくる

と、言ったものが理由がある。

 

正社員は残業が多い(拘束時間が長い)

フリーター(アルバイト・パート)の場合、ある程度は自分の好きなように勤務時間を調節する事が可能となるが、正社員の場合はフルタイム勤務となり、自動的に勤務時間は8時間以上となる。また、正社員の場合は残業をしなければならない場面も多くなってくる

 

正社員は人間関係が固定化してくる

正社員の場合、毎日ある程度固定化された人間関係の中で仕事をこなしていく事になる。もちろんフリーターにも当てはまる事ではあるが、正社員の方がよりこの傾向は強くなるかと思う。フリーターの方がまだ人間関係の流動性・多様性は高いかと思う。

 

人が生きる根本的な理由(目的)には関係無し

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そもそも人が生きる理由(目的)とは?

少しスピリチュアル的な話になってくるが、そもそも「人が生きる理由」「この世に生まれてくる理由」「生まれ変わる(輪廻転生する)理由」として一般的によく言われるものとしては、「魂の修行をする為」であったり「人の気持ち(痛み)を理解できるようになる為」であったり「利他心を学ぶ為」、「個々人の幸福を追求する為」などと言ったものがある。

 

「正社員かどうか」は無関係

「人が生きる理由」「この世に生まれてくる理由」「生まれ変わる(輪廻転生する)理由」が先に述べたものならば、これらの目的を達成する為に「正社員なのか非正規社員、もしくはそれ以外(個人事業主など)なのかどうか」と言った問題は重要なのだろうか?いや、たいして重要では無いはずだ。

正社員でなくとも「魂の修行」を行う事は出来るし、日常の些細な出来事や様々な活動を通して「利他心を学ぶ」事は充分可能である。「正社員であるかどうか」は、ほぼ無関係とも言える。

 

「安定した収入」や「人並みの幸せ」が人生の最大目的ならば「正社員かどうか」は重要な問題

もし仮に、人生の目的が「会社に従順に従い奉仕する見返りとして、安定した収入と生活を得て、人並みもしくは人並み以上の幸せを獲得する事」であるとすれば、その人にとって「正社員になる事」は非常に重要になってくるかもしれない。

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